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武信会とは

  • 会長  村田阿円齋(大宮支部長)

  • 副会長 山ノ内聖一

  • 顧問  吉崎皇彦

武信会より

師範、剣士、大会実績

【武信会とは】

「武蔵の国(埼玉)で英信流を精進する会」という意味で、武信会と名付けられました。

【武信会の歴史】

会長の村田阿円齋は、1981年、当時の出光岩波支部に入部し第21代英信流宗家「平井阿字齋」名人門下として居合道修行に入ります。(学生時代は合気道を学ぶ)

1986-94年までは商社勤務海外駐在で本格稽古から離れていましたが、95年頃より川越で独り稽古を復活(岩波支部所属にて)。

居合に興味ある仲間が徐々に増え、「黎明会」と呼称したプライベートな稽古会を7-8人で行っていました。

2007年、大日本居合道連盟より大宮支部として正式認可され、「武信会」と改名し現在に至ります。

英信流の基本に沿って稽古を続けながら、居合の理合、形、所作を鍛錬していきます。

40年以上修業した師範(範士八段)、ほか男性教士、女性教士、錬士がおり素直に稽古を続けることで上達します。高段者からも都度助言があり武信会全体で業の修練をサポートします。

日本刀、居合、剣術(真剣)への興味を大事にして、武信会で居合を修練しませんか。

  • 2023年5月第49回居合道全国大会(京都石清水八幡宮、大日本居合道連盟);六段昇段1名|個人戦 六段優勝、同準優勝、四段優勝、同三位

  • 女性剣士がおります(2023年現在9名)教士八段、六段、四段、三段、弐段、初段、段外

  • 2022年5月第48回居合道全国大会(京都石清水八幡宮、大日本居合道連盟)団体戦第Ⅰ部優勝。個人戦:七段優勝|六段準優勝|五段優勝、三位|四段三位

  • 同、本部称号段位審査会(高段者)八段1名、教士1名、七段1名、六段4名 允可

  • 指導:村田国雄範士八段(阿円齋)、吉崎皇彦教士八段、村田英子教士八段(阿藍)、山ノ内聖一教士七段、大石行男七段

  • 会社員、デザイナー、医療従事、公務員、経営者、学生、自衛隊員、企業定年など老若男女

剣士の声

教士七段(60代、男性)

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【なぜ居合いを始めるに至ったか】

なぜ居合に興味を持ったかの契機は、日々仕事に追われる生活を送っている中、40才を過ぎた頃ふと自分のための時間が持てていないことに気づかされ、何か仕事とは全く違う世界に身を置きたい、という欲求が湧いてきたところから始まっています。
何かしなければ、と漠然と考えていたところ、たまたま日本刀についてのTV番組を見ていて、日本刀の鍛錬場面を目にし、“鉄の塊”から“美しい日本刀”ができるまでの工程の複雑さ、そこに至るまでの先人たちの連綿とした創意工夫の歴史、素直に、凄い!と感じて見入ってしまい、これは世界に類のない文化だ、とその時は、感動した記憶があります。
そして、その同じ番組の一場面に、居合の稽古風景が映し出され、また、“このような重いものを、どうやって扱うのだろう”と、興味がわき始めました。また、時代劇、時代小説でも必ず出てくる、武器である日本刀が、精神性と表裏一体のように、”魂”と呼ばれるものであることの不思議さも感じていたこともあり、やはり実際に扱ってみないとわからないな、と実際に刀を扱え体験できる場所を探していたところ、縁があって現在の大宮支部村田師範を紹介され、稽古場面を見学に行き、流派の概略や、室町時代からの歴史のある古流居合であることを知り、入門を決めました。

<段外から初段の頃>この時期は、ひたすら師匠の模倣を繰り返し、技の“段取り”を覚えるのに必死でした。型の理合(想定)を教わるのですが、頭で分かっていてもなかなか体がついていかず、正直、ゆとりがなかったな、と思います。一方で、一つ一つ技を覚えていくのは実に楽しく、正座からの動き、立膝からの動き、立ち技での体捌きなど日常ではほとんど使わないような動きが新鮮で、また、刀の重さにもだんだん、なじんできます。

【居合の効能】
居合の技の動きには、上下・前後・左右・伸ばす・曲げる・ひねる等の動きがすべて含まれています。まず、日常生活では、動かさないであろう方向まで含まれていますので、技を覚えていくことは、自然と身体全体を動かすことになります。そして、段位が上がってくるに従い無駄の少ない効率の良い動きにつながっていて、身体全体を使う自然な動きになっていきます。
また、居合は、とっさの時にどう身体に負担なく素早く動けるようになるか、そして、呼吸や循環、集中力はもちろん、重い刀を振ることで、バランス能力の向上にも役立ち、また自分自身の身体のいろいろな部位を意識して使うようになることも、居合ならではの特徴だと考えています。
さらに、稽古以外の場面でも感じるのが、昇段審査や試合場面での、自分を“視られる”“評価される”という環境に身を置く経験、試合での
勝負という緊張感を味わえる経験、これらは普通に生活しているだけでは、なかなか得難い体験であり、精神作用に効するものであると思います。 
居合を修練していくということは、利便性・簡易性を求められ、身体的にも精神的にも偏重をきたし即物的になってきてしまっている現代社会において、今一度、日本人に合った身体能力・精神力を取り戻すきっかけ与えてくれる武道であり、日本の文化を見直す端緒でもあると考えています。

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