(インタビュー)
Q. 居合道を始めてみてどうでしたか? 何か自分の中で変わったこと、意識や考え方、体の変化などはありましたか?
(錬士七段、50代男性剣士)
【居合を始めて】
A. 実際に稽古を始めてみますと、手首は痛くなる、肘は痛める、全身筋肉痛になる、など、あちらこちら、身体が悲鳴を挙げ初めました。
今思えば、当然のことで、刀を振ることばかりに気をとられ、ただただ、力任せに腕力頼り、身体はバラバラ、じつに無駄な動きが多く、いかに関節に無理強いをしてきたことか!日々の運動不足を痛感しつつ、稽古に励むことになります。
しかし、それでも稽古が進んで、正座、立膝、奥居合いと、技を覚えていくに従い、なんと多彩な身体の動きをする武術なのかと驚き、現代の日常動作では考えられないような動きが次々でてきて、それを一つ一つ習得していく過程が実に楽しく、新鮮でした。
そして、ただ動作・理合を覚えるだけでなく、全ての細かい動作・所作に意味がある事を知るようになり、イメージした動きと自分の動きが少しずつ一致してできるようになると、うれしさとともに苦しんでいた痛みも感じなくなり、身体の使い方が変わってきたのかなと、実感できるようになりました。
不思議なもので、このような変化は、普段の生活での力の使い方にも、影響が出てきたように感じます。立ち座りや歩き方、姿勢などの動きに変化が出始め、明らかに、居合いを始める前よりも楽に動けるようになってきていて、疲れ方が違ってきました。
【自分の中の変化】
また、一方で、このように体を痛めながらも技を学んでいくうちに、これは歴史を体感することでもあるな、とも思い始めました。
古流を習うということ、業を習得していくことは、先人の先生方が創意工夫されてきたエキスが詰まっている型をなぞらえることでもあり、古来の武人が動かしていたであろう身体の使い方、敵対するときの気持ちの持ち方、命のやり取りの場面で実際に扱われたであろう日本刀の怖さ・威力、これらはどのような時代の人であれ、共通して感じていたはずであり、少し大げさに言えば、型を“なぞらえる”ことは、過去の武人たちとの対話ができる世界なんだとも考えるようになりました。
所作、礼法も同様にて、これらも含めて、居合なのだということを実感するようになります。実際に刀を帯びることで、明らかに、日常の動作所作とは違う動きになり、また、すっと気持ちを集中できる方向にもっていきやすくなったのも大きな変化かと思います。
もう一つ、自分自身の中で変わった変化は、もともと歴史好きではあったのですが、以前よりも、日本人が残してきた古来よりの書画、彫刻に興味を持つようになりました。
それまで、あまり考えずに漠然と眺めていたころとは違い、その時代、その時代に生きた人たちが、何を感じ何を考えて作ったものなのか?何を残したかったのか?細かな表現の仕方、強弱なども意識してみるようになり、このように考えながら、博物館などで作品に接するようになったのは、居合を始めて、自身が実際に受け継がれている流派の継承に身を置いている状況になった影響は大きいと感じています。
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